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宇田川玄随
(うだがわ・げんずい)
1755-1797
代々江戸詰の津山藩医を勤める宇田川家に生まれる。元来漢方医だが、桂川甫周や杉田玄白・前野良沢らと交流して、蘭学へと転向する。甫周のすすめでヨハネス・デ・ゴルテル著の『簡明内科書』を翻訳して、日本初の内科書『西説内科撰要』として刊行、当時の内科医に大きな影響を与えた。ほかに『遠西草木略』、『東西病考』などがある。