津山洋学資料館

>
津山の洋学初期
>
岸田吟香

 

→リンク

 

 
 
 
  休館日

 

 

岸田吟香 ― 辞書編さんや新聞、売薬など多方面で先駆的活躍 ―

 

岸田吟香肖像

岸田吟香
(きしだ・ぎんこう)

1833(天保4)-1905(明治38)

久米北条郡中垪和谷村(現在の久米郡美咲町町栃原)に生まれ、津山城下で漢学・剣術を学び、のち江戸に出て昌平黌に学ぶ。眼病を患い、横浜でアメリカの宣教師ヘップバーン(ヘボン)の治療を受けて以来、彼の片腕となって、日本初の和英辞書『和英語林集成』の編集を助けた。のち、ヘボン処方の眼薬「精錡水」を発売し、薬舗楽善堂を開く。

「海外新聞」を創刊、「横浜新報・もしほ草」の発行にも携わり、『東京日日新聞』主筆に迎えられるなど、記者・編集者として活躍。社会事業にも関心が深く、日本最初の盲唖学校となる訓育院を創設、幅広い分野に才能を発揮した。画家の岸田劉生は、彼の四男である。