津山洋学資料館

>
常設展案内

 

→リンク

 

 
 
 
  休館日

 

 

常設展案内

 

 
プロローグ室
知は海より来る
-洋学の世界へ-
 江戸時代、西洋の知識はオランダによって長崎・出島にもたらされ、「蘭学」が生まれました。プロローグでは知の入口となった出島をイメージし、床にはその絵図を描いています。
 さあ、私たちも出島を通って、洋学がどのように発達していったのか、歴史をたどる旅に出発です。
 
 
展示室【1】
人体に隠された科学への扉
-江戸蘭学の夜明け-
 オランダ語の解剖書を見た杉田玄白たちはその正確さに驚き、翻訳を決意します。『解体新書』は江戸蘭学の夜明けを告げ、やがて各地に蘭学者が生まれていきました。
 展示室【1】では『解体新書』の実物など蘭学が始まったころの資料や、津山藩にはじめて蘭学をもたらした宇田川玄随、そしてその跡を継いだ玄真・榕菴の業績を紹介しています。
 
 
榕菴コーナー
 ワンセットそろったものとしては日本で一番古いオランダカルタなど、江戸のマルチ学者・宇田川榕菴の好奇心を物語る資料を紹介しています。
 
 
 
展示室【2】
世界へと開かれていく眼
-阮甫が生きた時代-
 幕末には、日本は欧米諸国から開国を迫られます。津山生まれの藩医・箕作阮甫は、ペリーが持参したアメリカ合衆国大統領の親書を翻訳し、プチャーチンが長崎に来航した際には幕府の対ロシア交渉団に随行しました。
 これほどの活躍をした阮甫とは、いったいどのような人物だったのでしょうか。展示室【2】では阮甫の生涯と、その跡を継いだ省吾、秋坪を紹介します。
 
 
スポット展示・映像コーナー
 話題の資料を展示します。また「洋学史跡めぐり」など3種類の映像を用意しています。
 
 
展示室【3】
日本の近代化と津山の洋学者
-開国からやがて明治維新へ-
 激動する時代の中で次第に洋学の重要性が高まっていきます。幕府や政府は海外に留学生を派遣して近代化を推進し、津山からも津田真道、箕作麟祥、菊池大麓、箕作佳吉、久原躬弦、箕作元八ら多くの若者が海を渡っていきました。
 一方、郷土津山でも、洋学を学んだ医師たちが地域医療や教育に尽力します。展示室【3】では日本の近代化に貢献した津山の洋学者たちに迫ります。
 
復元展示室
ある医家の調合の間
 幕末から明治期の美作地域にある医家の調合の間(診察や薬の調合を行う部屋)を再現しています。