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久原洪哉

 

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久原洪哉 ― 藩主夫人の乳がん手術の執刀に腕をふるう ―

 

久原洪哉肖像

久原洪哉
(くはら・こうさい)

1825(文政8)-1896(明治29)

西北条郡井村(現在の苫田郡鏡野町)の出身。石川元翠・広瀬元恭に蘭学を学び、津山藩医久原家の養子となる。また、華岡南洋(華岡青洲の娘婿)に外科を学ぶ。明治3年(1870)には津山藩主夫人の乳癌の手術をした。

長男躬弦は貢進生として大学南校にに進み、京都大学教授および総長となった。

津山藩医久原家の初代良賢(甫雲)は、延宝5年(1677)に西玄甫よりオランダ流外科免許状を授与された。