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箕作阮甫

 

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箕作阮甫

 

箕作阮甫
(みつくり・げんぽ)

1799-1863

津山西新町で代々町医師を営む家に生まれる。父の代から津山藩医に取立てられた。京都に出て医学を学んだ後、宇田川玄真の門に入り、以後洋学の研さんを重ねる。幕府天文台翻訳員となり、ペリー来航時に米大統領国書を翻訳、また対露交渉団の一員として長崎にも出向く。蕃書調所の首席教授に任ぜられ、幕臣に取立てられた。日本最初の医学雑誌『泰西名医彙講』をはじめ、『外科必読』・『産科簡明』・『和蘭文典』・『八紘通誌』・『水蒸船説略』・『西征紀行』など阮甫の訳述書は99部160冊余りが確認されており、その分野は医学・語学・西洋史・兵学・宗教学と広範囲にわたる。
彼の子孫にも有名な学者が多い。

箕作阮甫肖像