仁木永祐 ― 自由民権運動の担い手となった医師 ―
仁木永祐 1830(文政13)-1902(明治35) |
東北条郡下津川村(現在の津山市加茂町下津川)の出身で、東南条郡籾山村(現在の津山市籾保)の医師仁木隆助の養子となる。江戸に出て箕作阮甫・宇田川興斎に入門し、医学を修めた。その後、郷里に帰り医業の傍ら籾山黌を開き近在の子弟の教育にあたった。明治になって自由民権運動に参加。1889(明治22)年、国会開設の直前に上京し、政党間の調整に尽力したため、「美作板垣(美作の板垣退助)」と評された。 |