洋学博覧漫筆
げんしん こうししんぺん |
Vol.11 玄真と『厚生新編』 |
▲ショメール『家庭百科事典』 と『厚生新編』 (津山洋学資料館所蔵) 今回は津山藩医・宇田川玄真が尽力した江戸時代最大の翻訳事業について紹介しましょう。 玄真が活躍していた江戸時代後期には、西洋諸国の海外進出が進み、日本近海にもしばしば外国船が出没するようになっていました。国防のため外国の実情を知ることが大きな課題となった幕府は「蕃書和解御用」を新設。長崎のオランダ通詞・馬場佐十郎と仙台藩医・大槻玄沢の2名を任命して、蘭書や外交文書の翻訳に当たらせます。洋学者にも幕府の中に活躍の場ができたのです。 その2年後の文化10年(1813)、玄真が3人目の蕃書和解御用に命じられ、藩医のかたわら月に8回ほど幕府の仕事をすることになりました。 ここでのふだんの仕事は、フランス人ショメールが作った『家庭百科事典』(オランダ語版)を翻訳することでした。2名で翻訳と校合を行い、詳細な注を加えて作った翻訳稿本は100冊以上に及び、それは今でも静岡県立中央図書館の葵文庫に保管されています。 この稿本を『厚生新編』といいます。「厚生」とは「生を厚くしてもって民を養う」という儒教の教えに由来しています。玄真も他の洋学者たちも「西洋の事物を紹介することで、人々の生活をより豊かにしたい」という思いで翻訳に取り組んでいたのでしょう。この訳文は幕府から公開されることはありませんでしたが、翻訳に携わったメンバーは、これで得た知識を自分の研究に生かしたのでした。 『厚生新編』は弘化2年(1845)ころまで作成されたと考えられ、その間に佐十郎、玄沢、玄真をはじめとして宇田川榕菴や箕作阮甫ら一流の洋学者計12名が参加し、知識のすべてを投入します。中でも玄真は天保3年(1832)に隠居するまでの19年間この事業に力を注ぎ、何と全体の4割余りを担当しているのです。 玄真が実績を上げたことで、この後も津山藩の洋学者が次々と幕府から任務を命じられ、幕末の外交や教育などに重要な役割を果たすことになります。
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