洋学博覧漫筆
ようあん |
Vol.22 榕菴の理想の家 |
▲榕菴の理想の家 (武田科学振興財団杏雨書屋所蔵) 津山藩医の宇田川榕菴は、28歳のころに「観自在菩薩楼随筆」という原稿を書いています。今回はその中に描かれた榕菴の理想の家について紹介しましょう。 帳面の見開きいっぱいに描かれた絵を見てみると、敷地の周囲には堀が巡らされ、橋を渡って門を入ると右手に病院、向かいには書生たちが暮らす書生舎があります。 中門をくぐった先には本館が設けられていて、 最初の部屋には「診病」とあるので、 診察は本館で行おうと考えていたのでしょうか。中央部は講堂で、書生舎に暮らす弟子たちにここで講義をしようと思っていたようです。その奥には「榕菴」と書かれた、榕菴自身の部屋を見つけることができます。 手前の小さな部屋にはそれぞれ「写字」「画員」「浄書」「彫刻」「製本」とあります。研究した原稿をすぐに清書し、画員が絵を付け、版木を刻んで刷り、製本するまでの工程が一括してできるよう考えていたのでしょうか。 また奥の薬局は、さらに隣の建物の製錬所につながっていて、薬の製造から調合までを一貫して行えるようになっています。製錬所の前には西洋式の庭園が広がり、隅には「日窖」(温室)もあるので、植物に関心の深かった榕菴は舶来の珍しい薬草を育ててみたいと思っていたのでしょう。 このころ榕菴は、江戸の津山藩邸に暮らしながら、養父の玄真を手伝って薬学書『遠西医方名物考』を編纂するなど、植物学や薬学の研究を進めていました。この絵は蘭文の間に挟まれてあり、研究に没頭する榕菴が息抜きの際に描いたものなのかもしれません。診察や製薬、植物研究、そして本の刊行までを一貫して行える、まるで現在の大学病院のような施設を榕菴は夢見ていたのでしょうか。
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