洋学博覧漫筆
しゅうへい |
Vol.43 秋坪、ヨーロッパへ |
▲『扶氏経験遺訓』 (津山洋学資料館所蔵) 幕末から明治にかけて、多くの業績を残した箕作秋坪の生涯の中で、最も思い出深かったのではないかと思われるのが、ヨーロッパとロシアへの歴訪です。 文久元年(1861)、幕府はアメリカ・オランダ・ロシア・イギリス・フランスの5箇国と結んだ修好通商条約いわゆる「安政の五箇国条約」で取り決めた江戸・大坂の開市と新潟・兵庫の開港を延期させようと、ヨーロッパへ交渉使節団を派遣することを決めます。その随行の一人として抜擢されたのが秋坪でした。 幕府から津山藩に正式な随行の命令が下されたのは同年10月25日でしたが、秋坪には事前に内命がありました。当時、秋坪が知人に送った手紙には「多年の宿志が遂に叶った」と渡欧への期待と喜びがつづられています。 使節団の正使は外国奉行の竹内保徳で、一行総勢38名の中には、福沢諭吉や松木弘安(後の寺島宗則)、福地源一郎など、のちに明治の教育や外交の分野で活躍する人々が多く含まれていました。 12月22日、一行はイギリス船で品川を出発。途中、香港・シンガポール・スエズなどを経て、翌年3月5日、フランスのマルセイユに上陸しました。それからイギリス・オランダ・プロシア・ロシア・ポルトガルの6箇国を7カ月かけて訪問し、各国要人と交渉を重ねて、開港・開市することを5年間延期させたのでした。 この間、秋坪は福沢や松木とともに、精力的に各地の学校や病院を視察しています。ときには手術の様子なども見学し、福沢が途中で気を遠くして、秋坪や松木に笑われる場面もあったといいます。実物を見ることで、これまで書物だけで得ていた知識を、より確かなものとして深めることができたのでした。 秋坪はこの旅で、師である緒方洪庵の著書『扶氏経験遺訓』をオランダのライデン大学図書館に寄贈しています。この書はベルリン大学教授のフーフェランドが著した内科書を翻訳したもので、箕作阮甫が序文を寄せています。刊行に当たっては秋坪も尽力した、思い入れの深い本でした。それは、現在もライデン大学の貴重な資料として大切に保管されていて、150年ほど前にこの地を踏んだ秋坪の足跡を今に伝えているのです。
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