津山洋学資料館

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榕菴の和蘭カルタ

 

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洋学博覧漫筆

 

            ようあん   オランダ
Vol.18 榕菴の和蘭カルタ

 

和蘭カルタ(津山洋学資料館所蔵)

 とカルタの透かし模様

江戸のマルチ学者ともいわれる津山藩医・宇田川榕菴は、その多彩な才能を物語る資料を数多く残しています。今回はその中でも特に有名な、和蘭カルタについて紹介しましょう。

 和蘭カルタといっても、今でいうトランプのこと。包み紙には「文政四年(1821)」「榕菴十二珍玩之一」とあって、その年に榕菴によって作られたことが分かります。「十二珍玩」とは榕菴が大切にした12個のコレクションで、その中の一つでした。当時はまだとても珍しかったカルタを榕菴は一体どのようにして知ったのでしょうか。

 江戸時代、長崎・出島のオランダ商館長は、貿易の返礼として将軍にあいさつするため、江戸への長旅をしていました。寛永10年(1633)から毎年行われ、寛政2年(1790)以降は4年に1度となったこの江戸参府は、西洋人と直接会い、彼らの持参した珍しい品を目にできる貴重な機会だったので、蘭学者たちはこぞって彼らの宿所である長崎屋に通っています。

 もちろん榕菴も養父の玄真に従って何度も長崎屋に赴いていますから、その機会に一行が道中の楽しみに持って来たカルタを見たと考えられます。おそらく榕菴はこれを欲しがったに違いありません。でも断られてしまい、手描きでカルタの絵柄を写すことにしたのでしょう。

 カルタを日に透かしてみると、紙自体にうっすらとオランダの7つの州の団結を表す「総徴号」の紋章が透かし模様で入っていて、西洋の紙が使われていることが分かります。この紙もオランダ人からもらったのでしょう。

また、現代と同じく、スペード、ハート、クローバー、ダイヤが13枚ずつ、全部で52枚ありますが、今日と違ってジョーカーはありません。これは、ジョーカーが19世紀にアメリカで生まれたもので、この時代にはまだなかったためです。

 近年の研究でこのカルタの原物がドイツで作られたものであることが明らかにされています。そして、キングやクイーンの目が愛嬌たっぷりに大きく描かれていることや服の模様など、細かい部分まで忠実に模写されていることが分かりました。

 和蘭カルタを見ていると、榕菴の旺盛な好奇心だけでなく、科学者らしい鋭い観察力や描写力も伝わってくるのです。

 

 

 

 

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